こんにちは、柳です。
3月29日から4月1日まで息子とふたりで東北を巡ってきました。
会津若松から米沢、天童、銀山温泉と福島、山形を巡り、その後、平泉、陸前高田、南三陸町、松島、仙台、福島と言うルートです。
会津から平泉までは歴史に触れ、日本古来の神仏への想いを感じることができました。
その後、陸前高田からは東日本大震災での被災地を巡るルートになります。
被災地を訪れたのは4年ぶりとなりました。
被害が大きかった陸前高田は当時と同じく造成工事がほとんどではありますが、
4年前とくらべると、公園整備などにも着手しており、本当に少しづつですが、復興への道筋が見えてきたように感じました。
気仙沼では被災にあって不通となっていたJR気仙沼線がこの4年の間に復旧をあきらめ、高速バスのルートとなっていました。
線路があった場所にガードレールが設置されていて、決して震災前に戻ることはない、と言う現実を受け入れながらも復興へ着実に進んでいっている過程であることが伝わってきました。
そんな中、この旅で一番、ショックを受けたのが福島原発の事故による非難困難区域付近です。
ここは常磐自動車道を東京方面に上っていくと福島原発を左に見ながら走行するかたちになるのですが、
ある一定間隔ごとに放射線レベルが表示されており、一番高かったのが3.2マイクロシーベルト/時でした。
これは私が住んでいる地域(千葉県北東部)の平均0.04マイクロシーベルト/時と比べると
決して安全とは言い切れない数字だと感じました。
また、帰宅困難区域で見かけた景色は、今までに見たことがない、何ともいえない、人がいなく手が入っていない荒れた草原のような光景で、何ともいえない異様な光景でした。
震災の被害や復興に序列をつけるわけではありませんが、福島原発付近は他の地区に比べると、希望の光が全く見えないといわざるをえません。
私がここで原発の是非を話すつもりはありませんが、保険に携わるものとして、一言いえるとすれば、
基本的にすべての保険で「核燃料物質における被害」は免責事項です。
保険という商品は金融システムの中である特定の不測の事態の備え、皆で資産出し合ってを支えあう仕組みです。
その保険会社の資産規模であっても核燃料物質の被害は担保しない(免責)ほど、危険である、、、ということです。
万が一、原発で何かあった際は、民間の支援は受けられない、、、そういうことです。
被災地を巡り、旅の最終日、息子が私に「東京オリンピックの建物を建設するくらいなら、被災地に建物建てた方が良いよね!」と言いました。
本当、その通り。。。
息子と二人、被災地の復興を祈りながら走った東北の旅路でした。



